2023/09/04

台風の被害 ポンプ小屋が飛ばされたことなど

台風

穏やかな湖畔の生活でも時には怖い思いをすることがある


湖畔の生活 台風5 夏 2

昭和30年前半のいつの台風かは分からないが

屋根のトタンが剥がされ、家の周りの「かっちょ(風除けの高い板塀)」が壊れた

養魚場の池のポンプ小屋も飛ばされて、すっかり無くなってしまった。


湖畔の生活 台風6 夏 2


ポンプ小屋は水を汲み上げる機械が入っているだけの小さなもので

周りに風除けの囲いも無くまともに台風の風を受けたらしい

母から聞いているのは、

強い南風が吹いて小屋が飛ばされて、それ以来、南風が怖くなったということ。

湖畔の生活 台風7 夏 2

父が懸命に片づけている。

ポンプ小屋の残骸を壊れかけた「かっちょ」の方に運び込んでいるのか

それとももっと多くの被害があったのか私の記憶には無い



南風は、こちらでは「下り風」と呼んでいて

台風の被害があった以後は母の大の苦手の風となった。

今現在の住んでいる場所は、同じ湖畔でも下り風はあまり当たらない所で

母の事を考えて今の場所にしたという話も聞いたことがある。

松林に囲まれた家は冬の北西の風にも強くて

ヤマセ(北東の風)にはちょっと弱いけれど、下り風や台風の恐怖は少なく

母も安心して住むことが出来たと思う。



湖畔の生活 台風4 夏 2

飛ばされる前のポンプ小屋

汲み上げた水が最初に入る池が一番大きくて

その隣に小さな池が幾つか並んでいる

湖畔の生活 台風3 夏 2


静かな日の池(保護したカモメの傷が良くなって池で羽ばたいている)





湖畔の生活 台風2 夏 2

ポンプ小屋に水を汲み上げるための管(取水口)

この丈夫な管は小さい子の良い遊び場になっていて楽しかったが

ポンプ小屋が無くなってから以後はどうなったか、まるで覚えていなくて

こんな日もあったのだと、ただ懐かしく思うばかり。





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2023/07/23

運動会は村を上げて♪ (写真の追加あり)

運動会の練習風景と、運動会本番


運動会 練習1b


学校の年中行事の中でも大きいのは秋の学芸会と春の運動会

学年それぞれに競技の練習をすることもあれば

体操などは運動会近くになると学校全体での練習になることもあった

運動会本番か、それとも練習かの違いは服装と観客で判断したが

もしかしたら全然別の行事や競技だったかも・・・(^^ゞ


運動会 練習1


一枚目の写真は体操の全校での練習のようで

2枚目は、フォークダンスだろうか



運動会 練習2


最初にこの写真を見つけた時は、これが運動会かと思った

物凄く真剣な表情で走っているのが好ましい(児童の一人は私の姉^^)


服装を見ると普段着で、だけど上級生も観ていて

ただのかけっこでは無いように感じる





そして運動会本番の写真

運動会1

上下とも白の体操着で、頭には紅白のハチマキをしている

先ごろラジオで話題の運動足袋を、この頃は皆が履いていたと記憶しているが

写真ではよく分からなくて、残念


校庭のぐるりには観戦している父兄たち

競技には父兄も参加するので、運動会は村の一大イベントのようなものだった


運動会3


徒競走の他に障害物、借り物競争、玉入れ、パン食い競争

笑いと声援に包まれた運動会だった

本番の2~3日前から観客席の場所取りが始まって

四角く囲ってロープやひもを張り、当日は盛りだくさんのお弁当をこしらえる

「お焼き」や「どんきみ」の店が来てそれも楽しみの一つだった。


※「おやき」は大判焼きで、「どんきみ」はトウモロコシのポン菓子のこと♪


運動会2

万歳をしているこの姿勢と喜びようは、おそらく綱引きで勝ったチームかも・・・

運動会の最後の方の種目に綱引きがあり

児童生徒の綱引きが終わると父兄の綱引きもあって

来賓などスーツ姿の大人も懸命に綱引きをして、明るい笑い声が起こっていた。



運動会5


応援の生徒と大勢の観客

賑やかで沢山の人がいて全員参加のような、懐かしい運動会の風景



運動会6


来賓参加の綱引き

運動会の最後の種目のような記憶がある綱引き

背広にネクタイの来賓は局長さん、PTAの会長さん、たぶん漁協の組合長さんや・・・

駐在さんもみな明るい笑顔で観ているこちらも楽しくなる

家族写真の中から見つけ出した一枚

この中には父の姿もあるので、シャッターを押してくれたのは誰なのか、

運動会の楽しい一コマ♪





2023/07/18

修学旅行への道

修学旅行への道


修学旅行への道1


組写真8枚中5 修学旅行への道

楽しかった学園生活も残り少なく、修学旅行が待ち遠しい磯掃除の一日



昭和35年8月上旬 十三海岸にて

カメラ同(ウィンザー35) ネオパンSS 絞8 150/1 D76 フィルターなし






修学旅行への道3

組写真8枚中7 修学旅行への道


東京への修学旅行実現、生徒たちはさすがに嬉しそうであった。

昭和35年8月 津軽半島十三村にて

カメラ同 ネオパンSS 絞5.6 50/1 フィルターなし D76





修学旅行への道2

組写真8枚中8 修学旅行への道

気を付けて行っておいで・・・・・かくして夢を乗せたバスは出発していった。





修学旅行への道4



写真が少なく最初の海岸での清掃作業が修学旅行にどうつながるのか分からない。

もしかしたら皆で海藻を採取して売って、費用の足しにでもしたのだろうかと、

想像を膨らませてみるが、そういう話も聞いたことが無く

結局分からず仕舞いだった。

ただ、昔々の修学旅行については幾つかの記憶があるので、記しておきたい。

生徒一人一人が米を持参していたこと。父兄の同伴も普通にあったこと。

学校に入学すると、修学旅行の費用として郵便貯金を学校がまとめていたこと等があげられるが、

積立貯金をしても修学旅行に行けない子もいたように憶えている。



私が修学旅行に行ったのは昭和40年代に入ってからで、

その頃はもう父系の同伴も米を持参することも無くなっていて

ただただ初めて見る景色や乗り物を呑気に楽しんでいたように記憶している。





2023/07/07

子供たちを水魔から護ろう

子供たちを水魔から護ろう

子供たちを水魔から守ろう1

組写真9枚中6 

人工呼吸法を見る女の子達は、

不安な面持ちで見つめていた。


ネオパンSS  絞11 200/1秒 フィルターなし 




子供たちを水魔から守ろう2


組写真9枚中8

準備体操終わって、一斉に水に飛び込んだが、女の子はおづおづと

此の子達から、一人の犠牲者も出してはならない

ネオパンSS 絞11 200/1秒 フィルターなし D76





・・・・・・・・・・・・・・・・

9枚の組写真中、残っていたのは2枚だけ

夏の水泳のシーズン前にこういう人工呼吸法や水に入る時の注意事項など

必ず一度は指導員のような人が来て行われていた

場所は海岸だったと記憶しているが

海で泳ぐのはだいたい男の子だけで、女の子は十三潟や前潟で遊んでいた。



中学を卒業して、ある年の夏に友人たちと一緒に海で泳いだことがある

波打ち際は浅かったが直ぐに深くなって、それからまた岩場のような所になる

男の子たちはそこでワカメを採って、浜で焚火をおこし焼いて食べたことが一度だけあって

楽しい思い出だけれど、覚えたたばかりの背泳ぎで深みの所へ行き

立とうと思ったらズボッと全身が隠れた。

直ぐに岩場に着いてホッとしたが、それっきり海で泳ぐことは無かった。

海は好きだけれど怖いこともある。



泳ぎに出かける前、父が言った一言

「泳ぎを覚えたばかりが一番危ないから気を付けるように」

なるほど本当にその通りであった。

そういうことを教えてくれていた先生や大人たちに感謝の気持ちを持っている。


2023/06/08

投石作業   

投石作業


投石作業2





投石作業6b





投石作業7





投石作業8


3枚目の写真から工事の場所が十三湖の何処かという事は分かるが

正確な場所(特に石を運びだすところなど)年月日、工事の目的などは不明

フィルムの中にあったものと別にアルバムの中から探し出した写真。

NHKテレビ・再放送の新日本風土記の「有明海」で同じような光景が映し出された

大掛かりな干拓工事で石の投入作業が繰り返されている

「あぁ、そうだったのか」と、納得できた瞬間に巡り合えたような気持ちになった。

この写真の投石作業が干拓の目的かどうかは分からないが、

知らない時代の知らない工事、残された数枚の写真が教えてくれるものは大きいと実感した。