2023/07/18

修学旅行への道

修学旅行への道


修学旅行への道1


組写真8枚中5 修学旅行への道

楽しかった学園生活も残り少なく、修学旅行が待ち遠しい磯掃除の一日



昭和35年8月上旬 十三海岸にて

カメラ同(ウィンザー35) ネオパンSS 絞8 150/1 D76 フィルターなし






修学旅行への道3

組写真8枚中7 修学旅行への道


東京への修学旅行実現、生徒たちはさすがに嬉しそうであった。

昭和35年8月 津軽半島十三村にて

カメラ同 ネオパンSS 絞5.6 50/1 フィルターなし D76





修学旅行への道2

組写真8枚中8 修学旅行への道

気を付けて行っておいで・・・・・かくして夢を乗せたバスは出発していった。





修学旅行への道4



写真が少なく最初の海岸での清掃作業が修学旅行にどうつながるのか分からない。

もしかしたら皆で海藻を採取して売って、費用の足しにでもしたのだろうかと、

想像を膨らませてみるが、そういう話も聞いたことが無く

結局分からず仕舞いだった。

ただ、昔々の修学旅行については幾つかの記憶があるので、記しておきたい。

生徒一人一人が米を持参していたこと。父兄の同伴も普通にあったこと。

学校に入学すると、修学旅行の費用として郵便貯金を学校がまとめていたこと等があげられるが、

積立貯金をしても修学旅行に行けない子もいたように憶えている。



私が修学旅行に行ったのは昭和40年代に入ってからで、

その頃はもう父系の同伴も米を持参することも無くなっていて

ただただ初めて見る景色や乗り物を呑気に楽しんでいたように記憶している。





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2023/07/07

子供たちを水魔から護ろう

子供たちを水魔から護ろう

子供たちを水魔から守ろう1

組写真9枚中6 

人工呼吸法を見る女の子達は、

不安な面持ちで見つめていた。


ネオパンSS  絞11 200/1秒 フィルターなし 




子供たちを水魔から守ろう2


組写真9枚中8

準備体操終わって、一斉に水に飛び込んだが、女の子はおづおづと

此の子達から、一人の犠牲者も出してはならない

ネオパンSS 絞11 200/1秒 フィルターなし D76





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9枚の組写真中、残っていたのは2枚だけ

夏の水泳のシーズン前にこういう人工呼吸法や水に入る時の注意事項など

必ず一度は指導員のような人が来て行われていた

場所は海岸だったと記憶しているが

海で泳ぐのはだいたい男の子だけで、女の子は十三潟や前潟で遊んでいた。



中学を卒業して、ある年の夏に友人たちと一緒に海で泳いだことがある

波打ち際は浅かったが直ぐに深くなって、それからまた岩場のような所になる

男の子たちはそこでワカメを採って、浜で焚火をおこし焼いて食べたことが一度だけあって

楽しい思い出だけれど、覚えたたばかりの背泳ぎで深みの所へ行き

立とうと思ったらズボッと全身が隠れた。

直ぐに岩場に着いてホッとしたが、それっきり海で泳ぐことは無かった。

海は好きだけれど怖いこともある。



泳ぎに出かける前、父が言った一言

「泳ぎを覚えたばかりが一番危ないから気を付けるように」

なるほど本当にその通りであった。

そういうことを教えてくれていた先生や大人たちに感謝の気持ちを持っている。


2022/12/08

こも編みの材料を集める婦人、夏のこも編み作業など

こも編み 2

夫人が背中に背負っているのは、おそらく、こもを作るための材料と思われる

こも 浜仕事12b


周りの様子から、たぶん浜を歩いているように思うが定かではない


こも 浜仕事12b2


この3枚の写真はバラバラにあって何の繋がりも無いのだけれど

背負っている物がこもの材料の様であること

次の写真では、ずらりと吊り下げて干してあるのが同じようなものに見える



こも材料か 夫人背負子1

夫人の背中の背負子のような木の箱のような

今ではもう見ることの無い道具が懐かしく感じる

竹で編んだ手籠、厚手の前掛け、地下足袋のような履物、

どれもみな当時の生活を教えてくれている






こも編み

こも編み


大人も子供も同じようにこも編みの作業をする

以前紹介した写真は冬の作業の様であったが、この写真で夏のようで、

一年を通して、こも編みの仕事があったのかもしれない。


こも編み 手伝い1

暑い季節なので半袖にスカート、戸を開け放した土間のような所でもきちんと膝を折って作業している。

おかっぱ頭の、まだ小学生と思える子供たちも立派な働き手だったのかもしれない。





以前、こもを編む様子を紹介して

それ以上の写真やフィルムは出てこないだろうと思っていたが

夏の水害の時に実家から持ち出したアルバムの中の

沢山の小さな写真の中に見つけることが出来た。

まだ小さな子供立ちが、きちんと作業している様子に頭が下がる

以前紹介した「こも編み」は、「村の生活 冬」に掲載しています


2022/11/07

昭和30年代初期の十三湖湖畔の風景など

昭和30年代初期の十三湖周辺




前潟の風景

十三湖岸風景 前潟1

よく見てみると遠くの、中央やや左に岩木山を確認できる。

また、大きな船がいることから橋が出来る前に写したものと思われる。



湖畔の風景

十三湖岸風景6b

前潟のようにも、また十三湖湖畔のようにもみえる。

風を防ぐための高い防風柵(かっちょ)と網を干してある風景。







十三湖 湖畔




十三湖岸風景5b

積み上げられた寄木(流木)と茅葺の浜小屋が並ぶ






十三湖岸風景4c

寄木(流木)と風に当てて干している網と、向こうに船の帆






十三湖岸風景7b

波打ち際ぎりぎりの、これも浜小屋だろうか・・・?

もしかしたら水が出た時のものか、さらには船の上に何か干しているのか・・・?






十三湖 湖畔の家族

十三湖岸風景8


仕事の合間のひと休みだろうか

柔らかそうな藁の上の大人が二人、赤ちゃんをおぶっていて、視線の先には

船の周りで中良さそうに遊ぶ子供たち





2022/08/13

旧盆の頃 十三の砂山おどり、船競争など


船競争の一コマ

船競争3


8月の大雨の後、床上浸水した実家の離れから、思いがけなく父の写真のアルバムが出てきて
その中に船競争らしいものも残っていた

これが本番なのか、本番に向けてのリハーサルなのかは定かでない
記憶にある船競争は、船と船との間が近く、もっと沢山の船が出ていたように思う

と言っても、大漁旗が風を切って走っている様子は見ていて気持ちがいい






船競争2


この写真も船競争の時とは言い切れないけれど

日の丸と大漁旗が船に取り付けられ、みなで輪になって、何やら盛り上がっている様子は

旧盆の祭りの賑やかさにつながる



船競争1

この写真も船競争の時は確信が持てないけれど

右上に見えている大漁旗と、一杯飲んで上機嫌の漁師さんとで

大漁旗のある風景というか、祭りの一コマとして記録することにした。



・・・・・・・・・・・・・・・


旧盆

お盆花笠1

普段は遊び着で思い切りよく、はしゃぎまわっているが、
お盆を迎えて浴衣を着せてもらうと、かしこまって大人しくできる。
頭の上に花笠を載せているのは、実は記憶になくて
たぶんお盆の時期に行われる村祭りが(十三の砂山祭り)あったからかもしれない



お盆花笠2

元々小柄で痩せていた母だが、この写真を見るとますます細く
もしかしたら病気入院をした翌年当たりの写真かも・・?

旧盆の時に着るのは浴衣の他に
オーガンジーのワンピースもあって、どこからそういう洋服を買っていたのか
毎年同じ洋服だったけれど、あの独特な服地の感触や
透けて見える華やかなパフスリーブの事はよく覚えていて懐かしい。

普段は砂をかき回して遊んでいるのに
妙に大人しく、神妙にしていたのがお盆の頃であった。




十三の砂山踊り2

十三の砂山おどり

旧盆の盆踊りは学校の校庭にやぐらを立てて
十三の砂山を歌いながら何重にも輪になって踊り続けたものだった。
街から祭り目当てに遊びに来る従兄弟がいたが
踊りの輪に入ってそのまま夜中の最後まで踊り続けるのがいつものことだった。

この写真は村祭りの時ではなく
観光客向けか、あるいはマスコミに頼まれての盆踊りだと思う。
場所は日本海の砂浜で遠くに権現崎が観えている。

十三の砂山祭りは盆踊りの他に
流し踊りや神輿担ぎ、それぞれの船に大漁旗をつけての船競争もあってたいそう賑やかだった。