わら布団を作る母
わら布団
幼い頃の記憶なのではっきりしないが、母が作っているのは「わら布団」
田んぼを作っていないので、貰ってきた藁なのか、
また、その中に干し草やゴモ等が混ぜられているのかも定かではない。
出来立ての「わら布団」は厚くて、お日様の匂いがしていた。
長い事、「アルプスの少女ハイジ」の屋根裏の藁のベッドに憧れていたが、
実際は浜辺の家で「わら布団」を経験済み。
少し大きくなった頃の記憶は、綿を広げながらお客様用の布団をこしらえている母の姿。
広げた綿を何重にも重ねて畳み、全体が出来上がったら真綿を大きく広げて綿を包む見込む。
小さな真綿が、どこまでも大きく広がるのが、とても不思議だった覚えがある。
わら布団が出来上がった夜
さっそく姉妹で布団に潜り込んだことは覚えている。
ただ、母がわら布団を作ったのはこの時一回きりで、その前もその後も
わら布団を作ったことも無ければ見た記憶もない
沢山のわらを入れて作っても、へたるのが早くてすぐに硬くなったような気がする。
ずっと綿の布団で寝ていたのになぜ一回だけわら布団を作ったのか
もっと母の話を聞いていればよかったと、ほかのいろいろな浜仕事に関しても
聞き逃したことが多すぎて、悔いが残る。
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ゴモ集めと乾燥
ゴモを干す母の側で
この写真は浜の草原で「ゴモ」を干しているところ。
ゴモというのは、浜に打ち上げられて黒く変色した細長いアマモの束で、
フワフワした感触のもの。たぶん冬の間に根株から離れて浜に打ち上げられるのだと思う。
干し上がったゴモがその後、家でどういうふうに使われたのか記憶にないが、
現在の「つがる市」の商店などでは、昭和30年代に、十三湖産のゴモを売っていたそうだ。
その用途は、畳の代りに床に敷き詰め、その上にござを敷いて、断熱材の代わりとしたり、
あるいは布団に入れる為に買っていく人もあったという話である。
家でゴモを何かに利用した記憶は無いのだが、もしかしたら、わら布団の中に入っていたのかもしれない。
浜で干し上がっていくゴモは、潮と日向の混じったような匂いがしていた。
働いている母の後ろで、干し上がったゴモ(乾燥アマモ)を投げ合って遊んでいるのは、姉と私であり、
それを写している父がいて、のんびりとした、面白い写真だと思う。
幼い頃の記憶をたどりながら写真の説明を書き記しているが、中には思い出せない事もあり、
父や母が生存中にもっと沢山の事を聞いておけば良かったと、今更ながら残念に思う。
しかし写真は有り難いもので、じっと見つめていると、ふと蘇える記憶もあって、
その記憶の糸をたどりながら少しずつ、書いていきたいと考えている。
写真を残してくれた父も、その被写体となった母も、きっと喜んでいてくれると信じて・・・。