2022/03/10

十三橋と渡し船 4 完成した十三橋

完成した十三橋


17十三橋10c


十三橋が完成したのは昭和34年秋のこと

大きな船も通ることができるように可動式の跳ね橋となっており

木造でカーブがあり、しかも跳ね橋ということで全国的にも珍しいとされたようである。

ところでこの写真、車が交差できるように膨らみのある所を撮っているのだが

手前中央辺りに散らばっているものは、もしかしたら馬の落とし物ではなかろうか(^^)/

1「渡し船と始まった橋の工事」に掲載した最初の写真が渡し場のもので

そこには2頭の馬がいて似たような物が~3ヶ所に確認できる。

父も苦笑しながらシャッターを切ったのかもしれない。





18十三橋12b

車が交差できるように橋には幅広い場所が作られている

車が通らないときは広くて気持ちの良い場所で、ちゃっかり釣りを楽しむ人も増えていった。

欄干に取り付けられた立札を写真の中で読み取ることはできないけれど

もしかしたら釣り人への注意喚起が書かれていたのかも・・・。





19十三橋13b

十三の集落から見ると渡し船でなければ行けなかった場所。

元々数軒の家が建っていて、渡し船か漁船で行き来していたもよう。

橋が出来てからは、橋向うの家という呼び方となって

そして電気も橋から引かれて、おぼろげな記憶だけれど明るく過ごせるようになった筈。




20十三橋14b

橋向うに走り去るトラックと、右の湖岸に見えるのは

橋ができるまで使われ続けた桟橋。

桟橋あとはずっと残っていて、私たちの良い遊び場にもなっていた。



21十三橋14c

橋を行くトラックは、何を沢山載せていたのだろうと、大きくしてみたら。

なんと驚くことに沢山の人であった。

何処か工事現場に行くのか、農作業なのか分からないが多くは女性のように見える。

トラックの荷台に人を載せて行くのも当時は普通のことだったが

もしかしたらあまりに大勢の人が乗っているのを見て、父も驚いたのかもしれない。






22母と3人 十三橋1b

母と一緒に海へ行く

十三橋が完成した時、私は5歳の筈なので

この写真は橋の完成後、1年か2年後くらいに写したものかもしれない。

のんびりした楽しい時間が懐かしい。



橋が完成した時は大勢の人が集まって開通式が行われた。

その時、一度だけ跳ね橋が上がった

沢山の人と、上がった跳ね橋と、人々が旗を振っていたような記憶もある

写真も残されていたはずだが、残念なことに今は手元にない。

フィルムも写真も残っていなくて、父が公共の施設へ寄贈したと聞いたことはあるので

何処かに父の写真が残されているかもしれないと、いまは想像するだけである。



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十三橋の開通式については

RAB青森放送「あの瞬」の中の

「1959 十三橋開通 0245」という題名の動画で見ることができます。



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十三橋について

水辺の土木遺産達というブログ内で木の十三橋、新しい十三湖大橋

昔々の地図(航空写真)などを紹介しておられるブログがあります。

貴重な記録だと思いますので興味のある方は是非ご覧ください。

【現存しない橋】十三湖大橋の前身の跳開橋と、津軽の木橋


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十三橋について、偶然目にした文章を記したいと思います。

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昭和三十四年秋、木造の長い橋が十三潟水戸口を横断して架けられ、渡し船は廃止、

釣りの師匠の管理人さんとはお別れである。全長394メートル、幅3メートルと狭く、

中央付近には車が交差できるぐらいの広さがあり、十三側に船が通れる可動式の

開閉装置があった。木造の橋としては当時全国で有名になった。浅瀬にしっかり杭を

打ち込んで作った橋のせいか、途中でかなりカーブしていたが、強い西風にも耐える

丈夫な橋であった。

昭和54年コンクリートの十三湖大橋ができ、十三橋は役目を終えた。中島(なかのしま)

ブリッジパークに通じる橋は十三橋の古材で作られたそうである。

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北方新社 月刊弘前 2008年 10月号 第351号

医者さまのくりごと 十三湊診療ノート(六)松野栄造 より抜粋させていただきました。

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2022/03/09

十三橋と渡し船 3 段々と形になってくる橋と渡し船

渡し船と十三橋

8橋げたと渡し

段々と形になってくる十三橋と、渡し船






9十三橋2b

水戸口から工事中の十三橋を見る
右方向にクレーンのようなものが確認できて、そこは開閉装置を作る場所






10十三橋2c

その箇所だけ大きくしてみると、やはり可動式の開閉装置の場所のようである。
大きな船が行き来できるように跳ね橋にしたようだった。






11十三橋3b

水戸口側の防波堤で釣りを楽しんでいる人
橋にはもう欄干が付いていて、殆どできているようにも見えるが確信は持てなくて
開閉装置が出来ているのか、それともまだなのか・・・?
橋が切れてるようにも感じるので完成前と思うことにした(^^;







12十三橋4b


十三橋の上からの眺め

何気ない、当たり前の風景が次々と映し出される。






13十三橋5b

ちょっと分かりにくいけれど、左側に中島が見えている。

向こうに見える山並みは小中学校の頃に「中山山脈」という名前で教えられていた。
そこには日本三大美林の一つの「青森ヒバ(津軽ヒバ)」の森林がある。

ヒバ材で作られた十三橋
年月が経って木の表面はきれいなグレーに変わっていって
その木肌に日が当たると日の色に染まっていく。

朝日を浴びるとバラ色に、夕日を浴びると金色に染まる様子が好きであった。








14十三橋6b

いつも船で渡って寄木(流木)を拾いに行っていた浜。






15十三橋7b

フィルムが薄くて、なかなか景色がはっきりと浮かび上がらない。
けれど、何気ない風景を橋の上から何枚も写した父の気持ちが少しは分かる気がする。

橋が出来てから8年後くらいに十三の集落から離れて
この十三橋の向こうに家を建て、商売を始めることになるのだが
もしもその時にこの橋が無かったら、家を建てることも無かったのだろうか。
いつ頃から計画を立てたのかよく分からないが、
橋が出来たことで父の夢か目的が一つの形として現実味を帯びてきたのかもしれない。
十三橋が完成したのは、父が40代半ばのことである。






16十三橋9b

全国的にも珍しいと言われたカーブのある橋がようやく完成。
人も車も馬も、歩いて渡れるようになった。



2022/03/08

十三橋と渡し船 2 橋脚と渡し船

橋脚と渡し船


十三橋の橋脚 フィルムではなく残っていた写真をスキャナで取り込んだもの
船に乗って間近から写したのか、写真を大きくした時、その迫力に、おぉー!!と、感激。

実はこの状態を見て橋桁だと思っていたのだが
ネットで橋梁工事を調べてみたら上部構造を支える橋脚であると分かった。
知識もなく橋桁などと書かないで良かった。確かに脚そのもの♪



5橋げた

静かな湖面と向こうには雪を頂いた山並み






5十三橋 橋げた3c

渡し船から工事中の橋を見ている様子。
十三の集落側から、対岸に渡る途中かもしれない。






6十三桟橋 橋げた1b

十三湖側から水戸口方向を見渡す。
橋脚と、その向こうに見えるのは水戸口。
中央の真っすぐ向こうに小さく灯台が確認できる。その向こうには日本海。







7十三橋1b

十三集落の対岸(五月女萢付近)から写したもの。
よく見ると右端に薄く岩木山が見えていて、良く晴れた日なのだろうと想像できる。
段々と橋らしい姿になっていくのがよく分かる。




2022/03/07

十三橋と渡し船 1 渡し船と、始まった橋の工事

十三橋と渡し船 1



1十三橋 桟橋2b


十三橋ができる前は渡し船が活躍していた。
ただ、渡し船の事は殆ど記憶になく、写真を見て、こういう時代があったのだと分かるくらい。
大きくしてみると渡し船の上には軽トラック、荷車、箱らしき物、大勢の人の姿がある。







2桟橋 渡し船3b

渡し船の上らしい写真
軽トラックの上にも人が座っていて、前方にはアイスキャンデーの旗。
この写真、見る度に1度は顔を斜めにして、
右の自動車のボディーの字を読もうとして我ながら可笑しくなった。
なにか楽しそうな雰囲気の車ではある♪


3桟橋 渡し船1

全体は写っていないので確信は持てないが、
おそらく渡し船か、または漁船を利用して人を運んでいるのかもしれない
桟橋に着いて乗客が下りる様子のように見える。季節は春か秋・・・







4十三橋工事1b


いよいよ十三橋の工事が始まる

橋は木造で材料は水に強いヒバと聞いている。
完成は昭和34年秋のことで、着工から完成まで1年かかったとされている。