2022/01/30

こも編み

こもを編む


こも作り2

こもを作る、こもを編む、こもを織る

どれが正解なのか今はもう分からないが、幼かったころ強く印象に残っている冬の生活の一部。

そんなに大きなものではなく、うんと長いものでもなかったように記憶している。
写真を見ると藁というよりは萱を使っているようにも見える

カラコロカラコロと、リズムを刻むように糸巻を向こうへこっちへ、音が気持ちよく響いていた。
繰り返しているうちに、こもが出来上がった行く。





こも作り4








こも作り1







こも作り3








こも作り5



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フィルムを整理していくうちにワクワクする瞬間に出会うことが何度かあった。
この、こも作りもそういうフィルムの一つである。

村の中でどれくらいの家がこも作りをしていたのか分からないけれど、
秋から冬にかけての内職のようなものだったと記憶している。

近所でもこうして作っている家があって、
定かな記憶ではないけれど、家に上げてもらって作業に見入っていたことがある。
作業が不思議で楽しくて、自分もやらせてもらいたかったけれど、それはたぶんできていないはず。

見た記憶はあるけれど、作業台に触った記憶はない。
ただ、夢中になって時間を忘れ、
暗くなりはめたころに両親や姉が探しに来たことがあった。

我が家は湖畔の一軒家なので小さい子供が見えないというと、ずいぶん心配したのかもしれない
それが他所の家に上がり込んで、こも作りを見ていたのだから、
うんと叱られはしなかったけれど、呆れられ、ホッとされ、笑われたことは覚えている。

上がり込んだのが、この写真の家だったのかどうかも、もう分からない。
ただ、なつかしい思い出の一コマと重なる貴重な写真である。






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2022/01/25

近隣の村の生活 イカのカーテンからスルメへ(下前か小泊)

イカのカーテンからスルメへ

スルメ2

大量のスルメを運びやすいようにプレスしているのだろうか、
右奥の倉庫に高く積み上げられているのも、よく見るとスルメのようだ。

いまはイカのカーテンというと生干しのイメージの方が強いけれど
昭和30年代というと生干しよりもスルメの方が需要があったのかもしれない。




スルメ


トラックに積み込んでいく様子


スルメ3

リンゴの木箱と似たような感じの木箱か? それにしてもすごい量。




スルメ4


海沿いのイカの干場とトラックと人々、迫力のある写真だと思う。







干しイカ11

小泊か下前というと、これは静かな夕景
スルメが順調に出来上がって運ばれて、ホッとした様子が景色の中にあるように感じる。



2022/01/20

近隣の村の生活 脇元と磯松の冬の風景と早春の津軽凧など

脇元と磯松の冬の風景と早春の津軽凧など


磯松、脇元1

海岸に沿った集落に何軒かの茅葺民家を見ることができる
これも今はもう無くなってしまっているかもしれない懐かしい風景
十三湖の集落には茅葺民家は少なく(私の記憶には殆ど無い)珍しいと思う。







磯松、脇元2

風雪除けの「かっちょ(雪囲い)」茅葺民家






磯松、脇元4

茅葺民家と、その上に高く上がっている津軽凧が見える







磯松、脇元4b

父のメモの中に「早春の脇元海岸・タコの音」というものがあり、それがこの写真である。
「タコの音」程よい風の中で凧を上げると、かなり強くブーンブーンと音が聞こえて
凧の姿が見えなくても、その音だけで凧が上がっていると分かる。
父も、大きなうなり声のような、ブーンブーンという音が強く印象に残ったのだと思う





磯松、脇元5

凧と鳥と…♪


凧あげは何度も見たことがあるけれど
自分で作ったことは無いので、音が鳴るのは凧の尻尾なのだとずっと思っていた(^^;

ところが音が出るのは凧の裏側に、横に丈夫な紙を糸で張ったもので
それが風を受けて振動し、高いうなりのような音を出すのだとか
ちゃんと「ぐんぐ」という名前がついていて、津軽凧の特徴の一つとなっているらしい♪







磯松、脇元3

浜にもお地蔵様の姿がある








磯松、脇元6


権現崎の見える風景


2022/01/18

少年の釣り、のんびりと♪

 船の上で のんびりと釣り

釣り2

父の写真にしては珍しく

くすっと笑えるような、微笑ましいというか、のんきな釣りの様子

浜の仕事で疲れ切っているのか、釣り竿を握ったまま眠り込んでいる

見ればまだ若いようで、漁師さんなのか、学生さんなのか分からない。




釣り3


とうとう、釣り竿から離れてすっかり眠り込んでいるもよう。


船はまだ帆掛け船で、下におろした帆が日陰にも保温にもなっているのかも。






釣り4

次に出てきたネガには・・・あらま何か釣れている~♪

残念なことに魚が映っていなくて、でも確かに釣れているように見える^^

厳しい浜の仕事が多い中で、ホッとできる時間があるのはうれし~♪



釣り 少年c

フィルムには無かった釣りの続きのような小さな写真が出てきた。

漁師さんではなくて、漁師さんの息子さんだろうか。

何が釣れていたのか分からないけれど、ホッとできる写真。

良い感じのセピア色だったので、あまり修正せずそのままの写真を生かしてみた。


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カテゴリも漁師さんから村の生活の中に組み込んで

たまにこう言うことが起こるのも写真やフィルムの整理の面白さかも~♪



2022/01/15

お知らせ1 ブログ名を浜辺の詩に変更しました。

ブログ名を「湖畔の詩」から「浜辺の詩」に変更しました。

ネガを整理しているうちに、記憶にない写真の多さにびっくり。

湖畔の生活だけでは収めきれるものではないと

十三湖を中心とした浜辺の生活の記録として残せるようにと思います。




浜 ヤマセ

十三湖に吹き付けるヤマセ
湖の遠くまで白く波頭が立っていて、干してある漁網が強風に揺れている
ヤマセは北東の風で冷たく、夏にヤマセが吹くと、旧盆の頃でもストーブを焼く家がある








前潟1

前潟
十三湖と日本海の間にある川のような沼のような・・・
十三湖そのものが海と繋がっている潟湖で私たちは十三湖を後ろ潟(うしろがた)といい
間にあるこの湖沼のような所を前潟(まえがた)と呼んでいる。








脇元2

日本海

十三から少し離れた、たぶん磯松という集落に近い場所だと思う
父の好きな写真だったように記憶しているが・・・







十三橋 桟橋2

十三橋が出来る前の渡し船と、渡し場
これも父が「渡し場物語」という題材で組み写真を作っていた中の一枚
他のネガが出てきてほしけれど、まだ何も分からない。







船で寄木集め1

湖畔の家族

まだ帆掛け船の頃の写真。
休日で急ぎの仕事が無いときは家族で対岸まで寄木を拾い集めに行くことがあった
寄木は良く乾いていて、たいていは風呂の薪に利用していた。
子供たちも寄木拾いを手伝ったが、それよりは遊び感覚で楽しかったのを覚えている♪

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家族の写真は湖畔の生活のカテゴリにまとめて行きたいと思っています。

2022/01/14

近隣の村の生活 イカのカーテン2(下前か小泊)



イカのカーテン 2


干しイカ10

ネガの整理をしていたらイカのカーテンの写真がまた現れた(^^ゞ
港らしい所に沢山のイカのカーテンが出来ている







干しイカ8

小さな船の上で遊ぶ子供たち
干してあるイカと子供たちと、見ていてほっこりする光景。










干しイカ9

この写真、ネガの時には何が映っているのかよく分からなかったが
大きくしてみてびっくり! 大量のスルメが入っている。
数えきれないほどのイカのカーテンから生まれたスルメなのだろう。
こういう写真が撮れたのは漁業改良普及員という父の仕事の関係からかもしれない。








子供つり1



同じフィルムの中に写っていたので、たぶん同じか近くの港のような所で写したのだと思う。



海岸8


そうしてもう一枚、前回の写真と同じ位置から写した風景
前回は花が咲いていて、この写真には花は無く、実のようなものが出来ている。



2022/01/11

近隣の村の生活 イカのカーテン1(下前か小泊)


イカのカーテン


小泊 干しイカ1



たぶん、下前か、それとも小泊辺りの漁村
イカのカーテンは結構有名だったように記憶している。

生干しよりも干し上げてスルメにして、その後は裂きイカやノシイカにしていたように思う
父が仕事関係で小泊方面へ行くと、お土産がノシイカだったり裂きイカだったり、それがとても美味しかった。
自然のままの風味のノシイカが懐かしいけれど、この頃ではなかなか食べられない。

小泊 干しイカ2


手作りらしい箱車
子供が遊んでいる様子はいつの時代もほほえましい






小泊 干しイカ3

高台か崖の上なのか、右に見えるのは海のよう。








小泊 干しイカ4

坂道も階段も、干せる場所は全部利用しているように見える。







小泊 干しイカ7

階段の一番上にある櫓は半鐘らしい。
画像を大きくしてみたら陰になっていたけれど半鐘が下がっているのが確認できた。







小泊 干しイカ5

階段の上、イカのカーテンの下に見えるのは
もしかしたら干場を作るための竿だろうか。それにしてもすごい数。






小泊 干しイカ6

何処までも続くイカのカーテン






干しイカ小泊

このフィルムの最後にあった風景写真


2022/01/11

高いかっちょ(雪囲い)と村の道 バスなど

かっちょ(雪囲い)


かっちょ雪1


背の高い雪囲いが、昔は年間を通してあった。
十三村の七不思議の中に「夏でも取らないかっちょ」というのがあったように記憶している。
冬は強い北西の風から家屋を守ってくれるし
夏は夏でヤマセが吹き抜けて、家よりも高いかっちょが必要だった。





かっちょ雪2


雪道は子供の遊び場にもなる
このころは自動車も走るようになって、除雪車も来ていたようだ。
子供たちの雪遊びは小さな橇や竹の先を曲げて出来た短いスキーなど
スキーといっても長くつの底に当てて滑る30~40センチくらいのもの。




かっちょ雪3

最初は大人が橇で荷物を運んでいると思っていたが
よく見ると子供が橇の上に横になっている
遊び疲れて一休みだったのかも~~♪





かっちょ雪4

懐かしい形のバス
陸の孤島と言われていた地域に待望のバスだったのかもしれない

昭和三十年代の初めごろはまだ馬車も通っていて
雪が多くてバスが止まり、馬車が出動したという話を聞いたことがある。






かっちょ雪5b




2022/01/10

角巻と吹雪など

角巻


吹雪 角巻1

 女性の冬の防寒着の代表的なもので
簡単に言うと毛布にフリンジが付いたような
単純だけれど暖かい
広げると四角で、それを二つに畳んで三角にして羽織っていた記憶がある。






吹雪 角巻2


吹雪に合うと雪が角巻の表面に、ブツブツと塊になって付いていたのを覚えている







吹雪 角巻3

そこそこの吹雪のなか
足元をよく見ると長くつというよりは下駄をはいているように見える。








吹雪2

これは見るからに、2~3軒先が霞むくらいの吹雪
男性は角巻を着ることは無くて厚い防寒着で身を包んでいる
荷物を運ぶのは橇で雪があるときは、これが一番だったかもしれない。








吹雪4


場所は不明だが住んでいた村の何処か
かっちょ(冬囲い)の高さが低くて珍しいと思う。



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父の写したネガを整理している途中
知らない景色や人、漁師の仕事、村の祭り、子供の遊びなど次々に出てくる。

家族以外の事はなるべくそのままに
知っていること以外は書かないようにと思いながら作業を続けている。
2022/01/01

 楽しい餅つき

湖畔の生活 冬 16


楽しい餅つきは父の手を借りて、お姉ちゃんが、よいしょ~♪




湖畔の生活 冬 16b

上の姉は力持ち^^ 一人で、よいしょー!!





餅つき4

やっぱり 父の出番が殆ど♪
上手に合いの手を入れるのは母で呼吸もピッタリ




餅つき6

つきあがったところで、よいしょっと~~♪





餅つき2


家の中ではつきあがったお持ちでお供え作りと、のしもち作り
我が家は薄く延ばして切り餅にしていたが、後々、友人に聞いたところ
四角い切り餅よりも丸餅の方が多いとか
自分の家の切り餅しか知らずに育ったので、
どこの家もみな同じような切り餅だとばかり思いこんでいた(^^ゞ





餅つき9


臼も杵も近所の家から借りてきたもの
返しに行くのも橇に載せて、二人の姉の力強さよ~~(*^^)v





餅つき8


餅つきの翌日か翌々日には切りそろえた餅を缶に入れて保存
焼いてお雑煮や黄な粉餅で食べるのが楽しみだった。