2022/02/26

十三湖のシジミ取り2

十三湖のシジミ取り2  船に動力が入ったころ?


シジミ漁1


帆掛け船の帆を張るマストが無くなって
大きなエンジンは見えないけれど、船は進んでいる



シジミ漁2


船のとも(船尾)から鋤簾(じょれん)を入れて
底からシジミと砂や泥を一緒にあげて
水の中でゆするとシジミだけが籠の中に残る仕組み



シジミ漁3


少しずつ動力が入って、そのうちエンジンも大きなものになって
船の形もエンジンが入る箱のような小さな小屋のようなのは船に乗って
今と同じような形になっていった。

だれもみなエンジンをつけて漁に出るようになっていくが
私が高校生くらいの頃に船舶免許を持たなければならない決まりが出来て
村の漁師さん皆で試験を受けに行ったという話を聞いたことがある。



シジミ漁4
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2022/02/22

以前の記事に 写真を追加しました

以前書いた記事に関連する写真を追加&追記しました。



湖畔の生活 春 
「船と母と通せんぼ」

母と3人5ba    湖畔の生活 春8ba 


母と船で3人3ba




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漁師さんと浜の仕事 「流木を集める」



浜 寄木集め3ba


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写真を整理していて、以前書いた記事と同じ時、または関連するものを見つけることが多く
時々、追加することが出てくると思います。


分かりにくいかもしれませんが、お付き合いいただければ幸いです。
2022/02/20

消防団の放水など

村の消防団 3

夏 十三湖 湖畔



消防2






消防1


父のネガや写真の中で消防団に関するものは冬が多くて
冬以外ではこの2枚だけだった
白黒写真なので季節の特定もなかなか難しいが
子供が半袖シャツを着ていることから夏の頃と判断した。

もしかしたら、だけれど
旧盆の頃に行われる夏祭りの一環として子の放水なども行われたかもしれない
これも想像の範囲内のことなので
いつかこの当時の事を知っている人の話が聞けたら
また新しい事実が分かるかも~~♪

2022/02/16

消防団の出初式など

村の消防団 2

昨日に続き、正月の行事らしい写真
出初式というのだろうか、隊列を組んでの行進や、はしご乗りなど
初めて目にする写真ばかり♪


消防冬6b






消防正月3





半鐘があるのは微かに覚えているが
出初式のはしご乗りの様子など全く覚えていなくて
こういう技術を持った人がいたのだと、あらためて感心した次第。





消防正月5







ネガの状態だと暗くてよく分からなかったけれど
取り込んだ写真を大きくして明るくしてみたら、半鐘の側に人がいてビックリ♪


消防正月4





村の人たちからのご祝儀のお酒などをいただく。




消防正月6






すべての行事が終了して、ねぎらいの席が設けられる様子。


消防正月7

周りをよく見ると学校の教室のようで、当時は休みの日の教室や体育館など
村の行事に使われていた様子がうかがえる。




2022/02/15

正月 消防団の放水など

村の消防団 1

消防正月8


おそらく正月の行事だと思うが、年代場所ともに確かなことは不明

此処は学校の校庭のような感じだけれど、

ほかに十三湖湖畔や前潟、日本海など、数か所で放水などの写真が残っていた。

消防正月9

よく見ると車の上に畳んだホースのようなものが見られる。



消防冬2




消防冬3




消防冬4


海での放水 風が強いのか波頭が立っている



消防冬1


右奥の方に権現崎が見えている

風が強く寒そうだけれど、消防団の皆さんの表情は明るい

2022/02/14

バスから見える除雪車など

冬のバス

冬バス7

まだ自家用車が少なかった頃
バスは大抵は満員で冬などは厚着しているうえに荷物などもあって
ギューギュー状態と言う事が多かった。

町から乗車すると、満員状態から集落が進むにつれて段々と空いてくる♪




冬バス1

向こうから走ってくる除雪車




冬バス2


ちょっと懐かしい形の除雪車(通称ブル)
乗用車がすれ違うのも大変なくらい狭い道だったので
雪が積もった冬道では無くてはならない存在。

それでも馬橇からバス、道をきれいにする除雪車と、時代は変化を続ける♪
この写真はおそらく昭和40年代のもの




村のバス停付近
冬の村4


中心奥の方に見えるのは前潟と日本海




冬バス停付近3






冬バス停付近5


子供の後ろに見える立て札には「学童を守ろう」という文字が書かれてある。

2022/02/10

白鳥の観察(小中学生)

十三湖の白鳥観察

白鳥3

白鳥の観察と言っても当時は何羽の白鳥が飛来しているのか
毎日放課後に湖岸へ行って数を数えるというものだったように記憶している。




白鳥観察5



一人ではなく、二人とか数人とか、双眼鏡で見ながら確認



白鳥8

たぶん、双眼鏡にカメラのレンズをくっつけて写したのだと思う
昭和30年代、望遠レンズなど持っていない父の何とか写したい工夫が嬉しい。
何枚も何枚もピンボケの写真が続いてその中で奇麗に写っていた一枚♪





白鳥観察2

浜小屋の前で観察している小中学生
浜小屋の上にいる黒いワンコは我が家の愛犬ぺス
観察している子たちの中に姉がいるので、たぶん一緒に来たのだと思う♪





白鳥観察4

当時は白鳥に餌付けが始まる前くらいだったかもしれない。
この後、リンゴや食パンの耳、寄付されたエサなどをやるようになった。

白鳥は昼の間は湖の中ほどにいるが夜は岸辺で寝ている姿もあった。
長い首を上手に羽の中に入れて、遠くから見ると丸い物体がずらりと並んでいるように見えて
なんとなく面白かったのを覚えている。



2022/02/07

流木を集める 

流木を集める


浜 寄木集め3b



帆掛け船を操り岸に付ける



浜 寄木集め3

浜に打ち上げられた流木を拾い集める
木の枝だったり廃材だったり、様々なものが湖の岸辺や海岸に流れ着く。

私たち家族も春から秋にかけて何度か船で対岸へ渡り、寄木を集めていたが
それは風呂の焚きつけに使うもので、量的にはそんなに多いものではなかったように思う。

この写真に写っているのは半端なく多い。



浜 寄木集め1


背丈を超える高さまで積み上げていて
もしかしたら焚きつけ以外にも杭など、浜の仕事に使えるものもあったのだろうか



浜 寄木集め2


よく見ると左奥の方ににも似たような木を集めた場所がある
集めた流木をどんなふうに活用していたのか・・・。
積み上げる作業していた男性の笑顔が明るくて、たくさん集められて嬉しかったのかも♪




浜 寄木集め4


十三湖在住の姉に写真を見てもらったところ
やはり流木の殆どは炊事や暖を取るための焚き付け・燃料になっていたようだが
丈夫で竿や杭の代わりになるようなものは、それなりに利用されていたという話を聞くことができた。



2022/02/04

十三湖のしじみ漁1 船で北海道へ・・・

十三湖 昭和30年代前半のシジミ漁


シジミ漁6c



底の浅い湖(潟湖)なので、胴長を穿いて水に入る
じょれん(鋤簾)を前後に器用に動かしながら、砂ごとシジミを掬い取り
水の中で振って砂を落とし、シジミ貝だけを樽にあける、そういう感じだったかも・・・




シジミ漁6


シジミを別の船に上げているようだけれど
どういう作業が行われているのかは、よく分からない。

船にも樽があるのと、帆掛け船らしいと言う事で同時期に写したものだと考えた。





シジミ漁8


取ったしじみを一ヶ所に集める作業のようである。
小さな船から大きな船へ、
樽からカマスへ入れているようにも見える







シジミ漁5




しじみ貝の積み込み作業



シジミ漁9


大きな船も現れて、これは意外だった。
じょれんや樽が見えるので、これも同時期の写真と思う。

大きな船は動力を使っているようで、この大きさの船が湖に入っているというと
やはり昭和三十年前半の時期といえる

木造の十三橋が出来たのは昭和三十四年の事なので、それ以後は大きな船は入れない
十三橋には大きな船が出入りできるように途中に開閉できる箇所があったが
跳ね橋として開閉したのは、橋の完成祝いのとき一度きりだったと聞いたことがある。


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 十三湖に住む友人を頼りに当時の事を知ることが出来た。
この大きな船で、集めたしじみを北海道へ運んで売っていたらしい。
仲買人の船なのかどうかは不明だが、
十三湖のしじみが昭和30年当時に北海道で売られていたことに驚いた。

また、十三地区でも馬を飼っていた家が何軒かあったらしく
荷車を引いたり農作業を行っていた李と言う事だったが
もう一つの仕事に、その荷車にしじみ貝の入ったカマスを載せて売り歩いた時期があったという。
残念ながらその写真は残っていないけれど
今、私が住んでいる「つがる市(旧 木造町)」にも十三湖から馬でしじみ売りが来て
「十三湖の~しじみ~」と、売り歩いていたという。




2022/02/01

傷ついたゴメ(カモメ? ウミネコ?)の保護から放鳥まで

傷ついたゴメ(カモメ? ウミネコ?)の保護から放鳥

父が傷ついて飛べなくなったカモメを保護した。
しばらく家に置いて、それから元気になったカモメを放して、
アルバムに残っていた写真は二枚だけで、HPにはその2枚の写真だけを載せていたが
今回、ネガの整理している中で宝物のような数枚を見つけることができた。




ごめ1

よくよく見ると釣り針のような物が付いているようにも見える。
ちいさめの体形は、ウミネコよりもカモメ、それもユリカモメに近いような気がする。





ごめ2

暖かい部屋に連れてきて見守っている、父の穏やかな表情・・・。
母はいつも同じように優しいけれど、父は気むずしい顔をしたり怖かったり
こんな表情を保護したカモメに向けていたとは・・・。





ごめ3

父に抱かれているカモメを見ている三姉妹の真剣な表情♪






ごめ4


ストーブのそばに箱を置いて、それにしてもずいぶん大人しくしている
全く記憶にないけれど、見ていてほっこりする一枚。







ごめ5


段々と元気になってきて外に慣れさせようとしているのか
部屋から出て餌を貰っている。








ごめ6

餌をあげるのはみんな大好き♪
ふくべ網にかかったチカやワカサギなどを食べさせていたように思う。






ごめ8

いよいよ家から外の池に連れて行って、力が付くのを待っているようす。







ごめ9

父から餌を貰っているカモメ

コンクリートの池があるのは、そこが県の水産試験場と関係した施設だったからで、
正式な名前は覚えていないが、一般的には養魚場。津軽弁で訛って「よぉげんじょ」と言われていた。
小さな住宅に事務所と試験室がついていて、それが湖畔の我が家だった。



ごめ10

元気な羽ばたきが嬉しい。





ごめ13 

カモメが飛び立つ瞬間♪




一瞬をとらえたのは母で、父が合図を出してそれ~!! という感じだったのかも♪
カモメもウミネコも一緒くたに「ゴメ」と呼んでいて、
この保護した海鳥も父母ともにゴメと呼び、本当はウミネコなのだと言われたが、
今になると、この大きさというか小ささはウミネコよりもカモメ、
それもユリカモメに近いくらいの感じに見える。

ただもう、それはどちらでもよくて、
父と母と私たち姉妹と、保護したカモメの面倒を見て元気にしてあげてた。
それが分かったことが大きな喜びとなっている。