2022/03/09

十三橋と渡し船 3 段々と形になってくる橋と渡し船

渡し船と十三橋

8橋げたと渡し

段々と形になってくる十三橋と、渡し船






9十三橋2b

水戸口から工事中の十三橋を見る
右方向にクレーンのようなものが確認できて、そこは開閉装置を作る場所






10十三橋2c

その箇所だけ大きくしてみると、やはり可動式の開閉装置の場所のようである。
大きな船が行き来できるように跳ね橋にしたようだった。






11十三橋3b

水戸口側の防波堤で釣りを楽しんでいる人
橋にはもう欄干が付いていて、殆どできているようにも見えるが確信は持てなくて
開閉装置が出来ているのか、それともまだなのか・・・?
橋が切れてるようにも感じるので完成前と思うことにした(^^;







12十三橋4b


十三橋の上からの眺め

何気ない、当たり前の風景が次々と映し出される。






13十三橋5b

ちょっと分かりにくいけれど、左側に中島が見えている。

向こうに見える山並みは小中学校の頃に「中山山脈」という名前で教えられていた。
そこには日本三大美林の一つの「青森ヒバ(津軽ヒバ)」の森林がある。

ヒバ材で作られた十三橋
年月が経って木の表面はきれいなグレーに変わっていって
その木肌に日が当たると日の色に染まっていく。

朝日を浴びるとバラ色に、夕日を浴びると金色に染まる様子が好きであった。








14十三橋6b

いつも船で渡って寄木(流木)を拾いに行っていた浜。






15十三橋7b

フィルムが薄くて、なかなか景色がはっきりと浮かび上がらない。
けれど、何気ない風景を橋の上から何枚も写した父の気持ちが少しは分かる気がする。

橋が出来てから8年後くらいに十三の集落から離れて
この十三橋の向こうに家を建て、商売を始めることになるのだが
もしもその時にこの橋が無かったら、家を建てることも無かったのだろうか。
いつ頃から計画を立てたのかよく分からないが、
橋が出来たことで父の夢か目的が一つの形として現実味を帯びてきたのかもしれない。
十三橋が完成したのは、父が40代半ばのことである。






16十三橋9b

全国的にも珍しいと言われたカーブのある橋がようやく完成。
人も車も馬も、歩いて渡れるようになった。



2022/03/08

十三橋と渡し船 2 橋脚と渡し船

橋脚と渡し船


十三橋の橋脚 フィルムではなく残っていた写真をスキャナで取り込んだもの
船に乗って間近から写したのか、写真を大きくした時、その迫力に、おぉー!!と、感激。

実はこの状態を見て橋桁だと思っていたのだが
ネットで橋梁工事を調べてみたら上部構造を支える橋脚であると分かった。
知識もなく橋桁などと書かないで良かった。確かに脚そのもの♪



5橋げた

静かな湖面と向こうには雪を頂いた山並み






5十三橋 橋げた3c

渡し船から工事中の橋を見ている様子。
十三の集落側から、対岸に渡る途中かもしれない。






6十三桟橋 橋げた1b

十三湖側から水戸口方向を見渡す。
橋脚と、その向こうに見えるのは水戸口。
中央の真っすぐ向こうに小さく灯台が確認できる。その向こうには日本海。







7十三橋1b

十三集落の対岸(五月女萢付近)から写したもの。
よく見ると右端に薄く岩木山が見えていて、良く晴れた日なのだろうと想像できる。
段々と橋らしい姿になっていくのがよく分かる。




2022/03/07

十三橋と渡し船 1 渡し船と、始まった橋の工事

十三橋と渡し船 1



1十三橋 桟橋2b


十三橋ができる前は渡し船が活躍していた。
ただ、渡し船の事は殆ど記憶になく、写真を見て、こういう時代があったのだと分かるくらい。
大きくしてみると渡し船の上には軽トラック、荷車、箱らしき物、大勢の人の姿がある。







2桟橋 渡し船3b

渡し船の上らしい写真
軽トラックの上にも人が座っていて、前方にはアイスキャンデーの旗。
この写真、見る度に1度は顔を斜めにして、
右の自動車のボディーの字を読もうとして我ながら可笑しくなった。
なにか楽しそうな雰囲気の車ではある♪


3桟橋 渡し船1

全体は写っていないので確信は持てないが、
おそらく渡し船か、または漁船を利用して人を運んでいるのかもしれない
桟橋に着いて乗客が下りる様子のように見える。季節は春か秋・・・







4十三橋工事1b


いよいよ十三橋の工事が始まる

橋は木造で材料は水に強いヒバと聞いている。
完成は昭和34年秋のことで、着工から完成まで1年かかったとされている。




2022/03/06

十三湖 冬の漁師像  合羽も凍る冬の漁

合羽も凍る冬のボラ刺網

冬の刺し網3b


初めてこの写真を見た時に
着ているものがどういう状態なのかよく分からなかった。
大きく伸ばして、まじまじと見て、それが合羽全体が凍っているようだと気が付いた。


帆掛け船の様子、人の様子などを何度も見なおして
関連している写真だと判断した。


フィルムの状態が良くなくて、ほこりやシミも付いていて
だからはっきり見えないのかと思ったら、それだけの理由ではなかった。

冬の刺し網 船


白く霞んでいるように見えるのが吹雪のせいだと分かったのは
大きく伸ばして細くて白い斜めの線が雪だったから。
水面は一見静かに見えるけれど、そうではなくて風がたたきつけているらしい。



普通は冬のなると船を陸に上げているのだが
凪の日に船を出したのか、それとも船を上げる前の冬の初めの頃か・・・


冬の刺し網 船2b






冬の刺し網

岸に近い所からのロープは張ったままのように見える




冬の刺し網1b


着ている合羽全体と頭にもに氷が付いている
吹き付ける雪、水しぶき、網を手繰っている時に被った水が凍ったのか
全体に薄い氷なのが、かえって寒さを想像させる。



冬の刺し網2b


網にはボラやウグイがかかっているようで、成果があったのはホッとするけれど
この後は網から魚を外す作業、絡み合った網を整理する作業が待っている。
自然の恵みも厳しさも教えてくれるようだ。


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フィルムについていた父のメモより

十三湖 冬の漁師像
(ボラ刺網 衣類が凍っている)

メモには8枚の写真があるように書かれていたが、確認できたのは6枚だった。 
2022/03/05

講堂に集まってヤツメ網の補修

ヤツメ網 補修作業


網作り1



漁師さんが集まってヤツメ網の補修をしているところ。
場所は、おそらく学校の講堂
天井付近に取り付けられたバスケットボール(ボード)には記憶がある♪

十三小中学校の講堂で間違いないと思う。
運動会や学芸会が学校の中だけでなく村の行事のような感じで
学校そのものも色々な行事の祝賀会や慰労会に利用され
こういう大掛かりな作業の場所としても一役買っていたのだと思う。



網作り3



かなりの大きさの網は何を獲るための物だったのか・・・

この写真、最初は新しい網を作っているところと紹介したが
十三湖に住んでいる友人に確かめてもらったところ、ヤツメ網の補修と判明。




網作り4


網目をみるとうんと大きくはなく、かといってシラウオ漁などに使う小さいものでもない
この後、ボラ漁やオオバイワシ漁の写真も出てきて、様々な漁が行われていたことがうかがえる。

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ヤツメ網と分かって納得出来た網目であった。
そういえば、と、思い出したことが一つ。
父の刺し網でも時々小さめのヤツメが獲れることがあった。
母がブツ切りにして濃い味噌煮をこしらえ、父が美味しそうに食べていた。
栄養満点と分かっても姿かたちに、子供は食わず嫌いだったかも♪ 



網作り6


作業の合間のお茶の時間。ホッと一息ついて笑顔も見られる♪



2022/03/03

鯛網漁(五智網)  網の準備と海の漁


網の準備と海の漁(五智網)


漁師6


十三湖の外(海)に出ての漁はあまりよく知らなくて
大きな船も何人もの人が協力しての漁も、やはりよく知らずに育った。

写真を見ると網の準備か繕いか、皆で作業をしている。
エンジンの側の箱を見ると「市浦 十三港」の文字があり、このような漁を昔から行っていたことが分かる。





漁師7


漁網はまだ白さがあって新しいもののように見える。

箱の中は・・・大きな魚は鯛のようで
やはり沖(海)に出ての漁だったことが分かる。


漁師8



 先日、同級生の協力で分かった海の漁は五智網(ごちあみ)というものだった。
沖に出て大きな楕円形状の網を下し、引き綱を引いて魚を獲る
一艘だけで漁ができるのが好都合なのかもしれない。

当時は五智網というよりも、「鯛網」を仕掛けるという言い方の方が多かったようにも聞いた。
初めて耳にする五智網、知らずに育った鯛網漁、まだまだ分からないことがいっぱい。





2022/03/02

母と一緒に しじみ採り

母と一緒にしじみ採り

母とシジミ取り4


道具は手籠と長くつ・・・って、
小さな熊手やスコップという潮干狩りに使うようなものは何もなく
素手で砂地に手を入れれば直ぐに貝に触れる

手ごろな大きさのしじみ貝を選んで手籠に入れていけば夕飯のおかずができる
長くつを履いているのはまだ水が冷たい時期だから♪



母とシジミ



粒ぞろいのしじみ貝が嬉しい♪



母とシジミ取り1


季節が進んで水が温むと裸足で湖に入り
しじみを選んでかごに入れる
母も一緒なのが当たり前で、楽しい時間が過ぎていく


しじみ採りの合間の一休み
母親の存在は大きい。砂の上にゴロンと寝ころがって
母に寄り掛かっていれば安心できる。

なんの不安もない穏やかなひととき。





母とシジミ取り




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次の画像は父がこの写真に残していたメモである
「組み写真7枚中3」とあって
他のしじみ採り以外の写真を組み合わせて写真誌(カメラ毎日)に送ったようだ。

浜辺で寄木を拾っている姿、洗濯物を干している写真も組み写真の一枚となっている
今回はしじみ採りの様子を写したものだけを集めてみた。



母とシジミ取り b







2022/03/01

楽しみのしじみ採りと、凪の日の十三湖

しじみ採り 個人の様子

十三湖は勿論、前潟と呼んでいる海と湖の間の潟、セバト沼など
しじみの採れる場所は豊富にあって
夕食のおかずにちょこっと採ってくることができた。

シジミ取り 個人1





これも個人のしじみ採りらしいが
個人にしては採っている量が多いようにも見える(^^ゞ

シジミ取り子供







凪の日の十三湖

浜で網の手入れをしている漁師さん、湖ではしじみ漁の人も見える。
穏やかで気持ちの良い十三湖の風景

今では漁業権を持った人でなければしじみを採ることはできなくて
資源保護を大切に皆でしじみを育てている
漁師浜仕事2


2月28日の新聞(東奥日報)に、昨年夏からの少雨の影響で十三湖の塩分濃度が上がり
中身のない、死んだ貝が多くみられるという記事があった。
汽水湖の十三湖で、岩木川など何本かの川が流れ込んでいるのと、日本海につながっているのとで
しじみの生育に合う微妙な塩分濃度が保たれているのだろう。

冬の間のしじみ漁はきついけれどやりがいもあると聞いたことがある。
早く元に戻るように、美味しいしじみが育つように、祈るばかり。