2022/03/30

初冬 船を陸に上げる


冬の初め 浜に船を上げる

船上げ1

春に船を湖に戻す時と同じように沢山のコロを船の下に置いて

春と違うのは船の引き上げに相当の力がいるからか
それとも、そういう仕組みが出来たからなのか、ロープをかけて引く
肝心の巻きあげる中心部分が見えなくて・・・
記憶では大きな木のドラム状のものにロープを巻き付けて行ったような・・・





船上げ2

よく分からなくて説明不足(すみません)
今だと電動のウィンチで引き上げるのだろうが、当時は全部が人手
船を上げる時も下す時もお互いさまで集まってくる。

大きな木のドラムのようなと書いたけれど
それを使うようになったのはもっと後のことかもしれない
写真をよく見ると心棒の下の方にワイヤーを巻き付けているようである。

木の横棒を数人で歩いて回して少しずつ船が動く
船が傾かないように、うまく陸に上がるように何人もの人がいる様子。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

追記のうえにまた更に追記
漁師を続けている友人に写真を見てもらったところ
ワイヤーを使っているのではなく、
4本の横棒を回しながらロープを引っ張って船を引き上げているようす。
この写真には写っていないけれど陸の方にもっと大勢の人がいて
ロープを引っ張っているそうな。
船上げの様子、まだまだ分からに事が多く、もどかしい(^^;





船上げ3



船を陸に上げるのは冬の初め
湖に戻すのは春の初めで、どちらの写真にも雪がある。
雪が降って出稼ぎに出る前まで漁をして、春は雪があるうちに漁に戻る。

厳しい生活だろうけれど、漁師さんの逞しさの方が印象的
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2022/03/28

春 湖に船を下す時


春 十三湖に船を下す時

浜冬 船上げ下ろし1b


春三月 雪解けの頃

まだ雪がかなり残ってるが湖の氷はもう無くなっていて船を下す時が来た
船の下にコロと呼ばれる丸木を何本も置いて
その上を転がすように滑らすように湖に向かって押していく

何人もの大人が集まってそれぞれの船を下すのに協力する
「せいのっ!・・ せいのっ!・・ せいのっ!・・・」
こんな感じだったろうか。子供の頃、何度も見た光景である。

2022/03/28

十三橋と渡し船4 記事内にリンクを追加しました。

十三橋


「十三橋と渡し船4 完成した十三橋」記事内に「水辺の土木遺産」をリンクさせていただきました。

「現存しない橋、十三湖大橋の前身の跳開橋と、津軽の木橋」の中に十三橋も取り上げられています。
そこには昭和30年代前後の地図、つまり橋ができる前と出来た後など
興味深い地図が掲載され、
さらに十三橋が解体され始めたころのパノラマ写真もあります。


十三橋については中学一年二学期から卒業まで通学路として歩き続けたので思い入れも深く、
橋の木肌の優しい感触は忘れられません♪

十三橋10d




2022/03/26

見知らぬ土地の 馬蹄工 鍛冶屋さん

見知らぬ土地の 馬蹄工 鍛冶屋さん

馬蹄4c

撮影年月日、場所ともに不明

荷物を運ぶのも人を運ぶのも馬車という時代があって
現在住んでいる木造地区も生まれ育った十三地区も昭和30年前半頃は
バスが通る前は馬車が活躍していた。
バスが通ってからも冬の吹雪の時などはバスが止まることもあり
その時には馬車の出番になったそうだ。


馬蹄2c

父の写真のトリミングの記録

馬蹄2

馬よりも人の表情、作業などに興味があったように感じる
私は午年生まれと言う事もあって、馬にも興味大♪


馬蹄3b


がっしりした体格、太い首、いつ見ても馬の表情は優しい(^^)/



現在住んでいるのは「つがる市」の農業地区で、
昔々は家の近くに「鍛冶屋」も「桶屋」もあったそうだ。
街へ行けば「馬具屋」さんもあり、どれも農家の生活には欠かせない職種であったらしい。
今でも馬力大会などが催され、馬を大切に飼っている所が残っている。


2022/03/24

見知らぬ土地の酪農 荷馬車や鶏舎など

見知らぬ土地の酪農

酪農1


地域、撮影日時ともに不明
昔懐かしい馬車と土の匂いが分かるような写真が数枚



酪農7


浜の仕事は何となくでも想像がつくけれど
酪農というと、全く知識が無くて、申し訳ないくらい。


酪農8b


よく分からないにしても、搾りたての牛乳を運んでいるのは分かる(^^)/



酪農10

馬車とミルクの容器と小さな子、いいなぁ♪





酪農3


集めた牛乳を加工しているのか
もしかしたら何かしらの視察で酪農場を訪れたのかもしれない。


酪農9

チーズを作っているのか・・・

何の説明も出来なくて・・・すみません。


酪農2








同じネガケースの中にあったもの
右はサイロか? 左にある建物は物置か鶏舎なのか・・・

酪農6b

中央に高く積み上げているのは牛に食べさせるための牧草だろうか?
それとも牛舎に敷き詰めて使う藁なのか?


酪農鶏舎1c

こちらは鶏舎らしい。
表に放し飼いで下は柔らかな土で、懐かしい風景のように感じる。

そういえば十三湖の村でも昔は鶏を飼っている家が何軒もあって
庭を歩いている鶏を見ることが多かった。
そして庭先にはしじみ貝の殻が敷き詰められていて、全体に白っぽく見えていたっけ。
鶏が突いているのと、歩くとザクザク音がするのが小気味良かった記憶がある。
2022/03/21

ストーブの上で焼く鮭の頭


ストーブの上の鮭の頭

鮭の頭焼き1b

先日の「母と一緒にお団子を作る」の中で
ストーブの上で焼いて食べる様々なものを上げたが
写真に残っているのは僅かで、ジャガイモが一番多く、魚は殆ど無かった

その中で、この一枚というものが鮭の頭である
二つに割った頭を焼き網にドンと載せて焼きあがるのを待つ♪
獲りたての新鮮なものというよりも、生干しにしたものかもしれない

母と鮭の記憶では普通に焼いて食べるほか
鮭の飯鮨、鮭のあらとキノコやサツマイモを合わせて甘辛く煮るネリコミなどがある
鮭のあらの中では胃袋(津軽弁でチュウ)が私の好物で、
あのプリプリ・ボリボリの食感が懐かしい♪

鮭の記憶として面白いのは大きなものが獲れると
全部をさばいた後に尾を切り落とし、台所のガラス窓に貼るというものだった
これだけの大物が獲れたのだという喜びや、
もしかしたら外からも見えるので母が自慢したかったのかもしれない。


ストーブで焼いて食べるものは、他にもあるかもと探していたら
家族以外の写真の中に意外なものを見つけた
同じく鮭の頭を焼いている様子だけれど、お客様がいる。

ほか数枚の写真を照らし合わせると正月の来客らしい。

鮭の頭 正月客2



父の若い頃からの友人がストーブの側に座り、
テーブルにはお銚子や杯、ごちそうの小鉢が並んでいる
そしてストーブの上にはヤカンと、その隣に、ブリキのボールが伏せてある・・・?

伏せたボールの端から見覚えのある持ち手が覗いていて・・・。


鮭の頭 正月客3

なんとこれも鮭の頭のようである。
鮭が何本か獲れた時は一度に食べないで、さばいて塩を振り外に干しておくこともあった
また、風呂場の煙突の側に吊り下げて燻製のようにしたことも。
そうして出来た鮭の頭を香ばしく焼き上げると
美味しい酒の肴にもなったのだと思う。



父と友人は明るく楽しいお酒で、私たちも側で遊んでいる
手に持っているオモチャは、お客様が持ってきてくれたお土産だったのかもしれない。

1枚目のストーブと鮭の頭の写真に写っているのは普段着を着ていて
次の2枚の写真ではちょっとだけおしゃれな服を着ている

正月のお客様。ストーブと鮭の頭、なんだか楽しい♪



2022/03/19

母と一緒にお団子を作る


母と一緒にお団子を作る


母と団子1b


春の恒例行事は春彼岸のお団子を作ること
お米を村はずれの粉屋さんへ持って行き、粉にしてもらう。

前の日から小豆を煮てあんこを作り準備オッケ
母に教えて貰いながら、丸めて伸ばして、あんこを入れて包んで
お皿に並べて沢山出来たら大きな鍋で茹でる

底に沈んだお団子が茹で上がって、プカプカ浮かんで来たら出来上がり。
水を入れたボールに順番に落として冷めるのを待つ。
茹で上がった熱々のを食べた記憶もあるので、お供えというよりも作る楽しみ食べる楽しみが大きかった。
あんこを入れて丸めて、それが下手に出来ると茹でている途中であんこが漏れてくる。

皮が破れてあんこが出てこなくて、うまくできたと思っても
皮が厚くなり過ぎて、あんこまでたどり着くのに2口も3口も皮を食べなければならない。
皮が薄すぎても厚くても、どっちも失敗作かもしれないけれど、

どちらにしても笑いのタネになって楽しかった♪


母と団子

作って数日たち、硬くなったお団子はストーブの上で焼いて食べる
皮が厚いのはこういう時に役に立つ^^
香ばしく焼けたお団子、中のあんこはホカホカの熱々。

このストーブ、お団子の他にも焼きリンゴ、焼きジャガイモ、もちろんお餅も魚も、
夕飯の時にはご飯を炊くのに活躍した薪ストーブ

煤はついているけれど、蓋のつまみは取れているヤカンが懐かしい(^^ゞ



2022/03/16

以前の記事に写真を追加しました





釣り 少年c2


以前、「漁師さんの釣り、のんびりと」として紹介しましたが、
写真を整理しているうちにこの一枚を見つけて
漁師さんではなく少年の釣りの様子だと分かりました。

カテゴリも「漁師さんと浜の仕事」から「村の生活 夏」に変更
整理しているうちに時々こういうことがあります(^^;




2022/03/13

小泊・下前へ向かう道の風景と、イカのカーテンの一枚など


漁村の風景


漁村わかめ


初めてこの写真を見た時、左側に干してあるのはワカメだと思った。
しかし画像を大きくしてみると、ワカメのように見えていたのは大根の葉らしい。

津軽では大根の葉を乾燥させたものを「しぐさ」という。
カラカラに乾燥したものを保存し、冬の間のみそ汁の具などに使う

はっきりとこれは「しぐさ」であるとは言えないけれど
何か、大根かカブの葉を束ねて長く編み、上から吊り下げて干しているもよう。
右のイカと同じく浜の風がうまく乾燥してくれそうな風景。

左に見えているのは権現崎へ向かう道のようで、場所はおそらく下前の少し手前と思われる。







権現崎へ

向こうに見えるのは権現崎で、この場所は
たぶん小泊へ向かう道

海岸沿いの、まだ舗装されていない道を丸太を積んだトラックが行く
手前の夫人は見送りの人だろうか・・・



特徴のある岩が左に見えるので、Googleマップで検索
権現崎へb
(画像をGoogleマップ ストリートビューよりお借りしました)

国道339号 小泊の一歩手前の折戸に近い場所だった。
折戸の向こうには小泊があり、途中から左へ行くとライオン岩を通って下前へ向かう。


画像一枚目のイカと大根らしい葉を干している海岸の風景は
ライオン岩と下前の間にあるようである。
Googleマップの検索は一人ドライブをしているようで楽しい♪


ライオン岩
ライオン岩 b

少し高い場所からライオン岩を写したもの。
今回の画像は4枚ともにフィルムではなく小さな写真を取り込んだもの
イカのカーテンのページを作った時にはまだ分からなかった写真で
ポツンと、こういうのが現れると、懐かしくうれしくなる。



下前のイカのカーテンの写真も一枚出てきたのでここに追加。

イカ小泊b

イカのカーテンの向こうにちらりと見える女性
父が茶目っ気を出して写したようで、なにか面白い。








2022/03/10

十三橋と渡し船 4 完成した十三橋

完成した十三橋


17十三橋10c


十三橋が完成したのは昭和34年秋のこと

大きな船も通ることができるように可動式の跳ね橋となっており

木造でカーブがあり、しかも跳ね橋ということで全国的にも珍しいとされたようである。

ところでこの写真、車が交差できるように膨らみのある所を撮っているのだが

手前中央辺りに散らばっているものは、もしかしたら馬の落とし物ではなかろうか(^^)/

1「渡し船と始まった橋の工事」に掲載した最初の写真が渡し場のもので

そこには2頭の馬がいて似たような物が~3ヶ所に確認できる。

父も苦笑しながらシャッターを切ったのかもしれない。





18十三橋12b

車が交差できるように橋には幅広い場所が作られている

車が通らないときは広くて気持ちの良い場所で、ちゃっかり釣りを楽しむ人も増えていった。

欄干に取り付けられた立札を写真の中で読み取ることはできないけれど

もしかしたら釣り人への注意喚起が書かれていたのかも・・・。





19十三橋13b

十三の集落から見ると渡し船でなければ行けなかった場所。

元々数軒の家が建っていて、渡し船か漁船で行き来していたもよう。

橋が出来てからは、橋向うの家という呼び方となって

そして電気も橋から引かれて、おぼろげな記憶だけれど明るく過ごせるようになった筈。




20十三橋14b

橋向うに走り去るトラックと、右の湖岸に見えるのは

橋ができるまで使われ続けた桟橋。

桟橋あとはずっと残っていて、私たちの良い遊び場にもなっていた。



21十三橋14c

橋を行くトラックは、何を沢山載せていたのだろうと、大きくしてみたら。

なんと驚くことに沢山の人であった。

何処か工事現場に行くのか、農作業なのか分からないが多くは女性のように見える。

トラックの荷台に人を載せて行くのも当時は普通のことだったが

もしかしたらあまりに大勢の人が乗っているのを見て、父も驚いたのかもしれない。






22母と3人 十三橋1b

母と一緒に海へ行く

十三橋が完成した時、私は5歳の筈なので

この写真は橋の完成後、1年か2年後くらいに写したものかもしれない。

のんびりした楽しい時間が懐かしい。



橋が完成した時は大勢の人が集まって開通式が行われた。

その時、一度だけ跳ね橋が上がった

沢山の人と、上がった跳ね橋と、人々が旗を振っていたような記憶もある

写真も残されていたはずだが、残念なことに今は手元にない。

フィルムも写真も残っていなくて、父が公共の施設へ寄贈したと聞いたことはあるので

何処かに父の写真が残されているかもしれないと、いまは想像するだけである。



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十三橋の開通式については

RAB青森放送「あの瞬」の中の

「1959 十三橋開通 0245」という題名の動画で見ることができます。



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十三橋について

水辺の土木遺産達というブログ内で木の十三橋、新しい十三湖大橋

昔々の地図(航空写真)などを紹介しておられるブログがあります。

貴重な記録だと思いますので興味のある方は是非ご覧ください。

【現存しない橋】十三湖大橋の前身の跳開橋と、津軽の木橋


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十三橋について、偶然目にした文章を記したいと思います。

・・・・・

昭和三十四年秋、木造の長い橋が十三潟水戸口を横断して架けられ、渡し船は廃止、

釣りの師匠の管理人さんとはお別れである。全長394メートル、幅3メートルと狭く、

中央付近には車が交差できるぐらいの広さがあり、十三側に船が通れる可動式の

開閉装置があった。木造の橋としては当時全国で有名になった。浅瀬にしっかり杭を

打ち込んで作った橋のせいか、途中でかなりカーブしていたが、強い西風にも耐える

丈夫な橋であった。

昭和54年コンクリートの十三湖大橋ができ、十三橋は役目を終えた。中島(なかのしま)

ブリッジパークに通じる橋は十三橋の古材で作られたそうである。

・・・・・

北方新社 月刊弘前 2008年 10月号 第351号

医者さまのくりごと 十三湊診療ノート(六)松野栄造 より抜粋させていただきました。