2022/05/30

製材用木材の運搬作業

製材用木材の運搬作業

木 運び 製材用木材運搬1

フィルムを整理しながら、たまげた写真の一つ
木材を水に浮かべて運んでいる様子とは分かるが、大きくしてみるとまだうんと若い人
波もそこそこあって風も強いだろうに、すごいなぁと、思うばかり。







木 運び 製材用木材運搬2

この二枚の写真も同級生に聞いてもらってどういう作業か分かった。
製材用木材を船から降ろし、カギをかけ、前潟に運搬するための作業。
十三地区に何軒かの製材所があって、その中の一つの製材所の木材らしい。
向こうに見えるのは十三橋。
大きくしてみると、こちらを向いている男性の表情は皆明るくで、
嬉しそうに運搬作業に当たっていることが分かる





前潟の浜に並べられた木材。向こうに岩木山が見える。

前潟2

もしかしたら中山山脈(津軽山地)から切り出したヒバだろうか。
日本三大美林の一つが津軽の中山山脈であると、小中学校を通して教えられてきた。
そういう山が身近にあるのを大いに自慢していいと言われ続けていたが、
こういう大きな木材が積み上げられている風景を何気なく、当たり前の景色のように見てきた。
実際に運搬している様子を見ることが出来て改めて良かったと思う。
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2022/05/26

前潟 二軒町の下の橋の補修工事

前潟 二軒町の下の橋の補修工事

前潟工事1 二軒町の下の橋の補修工事

作業に出ている婦人が着ているのは絣の上着、絣の胴着に絣の前掛けの人が多い
胴着は大抵は薄い中綿入りで暖かさを保つようにできている。




前潟工事1 二軒町の下の橋の補修工事b


十三湖と日本海の間にあるのが前潟で
のりや牡蠣の養殖試験を行っていたのも前潟
養殖の試験は前潟でも海につながる水戸口に近い所で行われていたようである

この2枚の写真の橋の補修工事は
前潟でも集落のずっと奥の方、つまり水戸口から離れていた箇所の橋。

橋の事も工事のことも分からず、同級生が尋ねてくれてようやく判明。

細かい写真の説明はできないけれど
記録として残しておきたい。
いつかよく知っている人が現れて、きちんと説明できることを願って。



2022/05/23

突堤で、のりを摘む子と見守る小母ちゃん

突堤で、のりを摘む子

睦美 のり摘み5

波が打ち寄せる突堤で、のりを摘んでいる。
側に置いてあるのはビクやザルではなくオモチャのようなカバン。
のりを入れられるような物ではなく、
殆ど遊びのような感じでのり摘みをしている。

睦美 のり摘み2

向こうの浜の景色を見ると小さな赤い灯台のある南突堤かもしれない。
それにしてもすぐそばに波が来て
長靴は履いているけれど滑りやすくて危ないのに・・・・。

睦美 のり摘み4

摘み取ったのりを手のひらに載せてご機嫌さん♪
今だと怖くて行けそうもないけれど、ちいさい頃は何ともなかった
それでもこんなに穏やかな顔で楽しそうにしていられるのは
側に父がいたからだけではなかった。


睦美 のり摘み6b

優しく見守ってくれている小母ちゃんがいた♪
優しい笑顔と眼差し、とても懐かしいけれど、記憶には無いのり摘みの写真




突堤は子供のころからずっと「トッテ」という呼び方をしていて
「トッテに遊びに行ってくる」「トッテで、のりを摘んでくる」こんな風に言って出かけていた。
父の写真を整理する中でトッテは水戸口から海へ出る先端の突堤であると分かった。

摘み取ったノリは家に持ち帰ってみそ汁の具になることもあったが
大抵は寄せてくる波で洗って、そのまま口に放り込んだ。
ちょっとしょっぱい海の味と海苔の香りと、嚙んだ時の新鮮な歯ざわりが好きだった。
けっこう大きくなるまで、のり摘みを楽しんでいたけれど
それももう20年くらいも前の事になってしまった。
この子供の頃の様子は写真を見て初めて知ったもので
こんなに小さい時からのりを摘んで食べていたことにビックリ。

・・・・・・・・・・・・・・・

のりは寒くなると付くようになって、季節は冬の初めか、それとも早春。
冬に突堤へ行った記憶は殆ど無いのと、明るく穏やかな様子に、家族写真の春に入れることにしました。

2022/05/22

冬の突堤で、のりを摘む人

水戸口 突堤で、のり摘みをする人 2

のり摘み ミトグチ

灯台の確認が出来ないので、南突堤か北突堤なのかは分からないが
のりを摘んでいるらしい人が二人
それぞれに小さなびくを持っていて、摘んだのりを入れている様子。
この突堤ではのりの他にも数種類の海藻が付くはずなので、のりと断定はできないが
様子から想像して、のりを摘む人の二枚目の写真とした。




突堤で、のり摘みをする人 1

のり摘み男性

十三湖から水戸口を通って日本海へ出るが
その水戸口から日本海へ突き出したように伸びているのが突堤
その先端には小さな赤い灯台が立っている

反対側の突堤の先に小さな赤い灯台よりもさらに小さな白い灯台もいつの間にかできていて
その場所を示すのに「赤灯台」、「白灯台」という言い方をしているようである。
子供の頃には赤い灯台しかなくて、検索してみると赤い灯台があるのは南突堤ということらしい

この写真の男性は突堤(南突堤か北突堤かは分かりません)で、のりを摘んでいる。
小さなびくを持っていてその中に摘み取ったのりを入れていくが
寒くなってから付き始める海苔の事、作業は厳しいと思う。

家で食べるためかそれとも業者に渡すのかそれも分からないが
衣服の付いている白いものは雪で、のりを摘んでいるのは素手であることは分かる。
海面がすぐそこにあり、波が打ち寄せれば濡れることもあるだろう。
男性の表情は厳しく、この一枚の写真を見ていて身が引き締まるように感じる。

2022/05/14

前潟での海苔の養殖調査の一コマ

前潟での海苔の養殖調査

前潟のり3


前潟での海苔の養殖は全く知らずにいて
作業の写真を目にした友人も海苔の養殖が行われたいたことは知らないという。
写真の多くは昭和30年代のものなので、同級生揃って子供♪
大人たちの頑張りに気が付いていなかったのかも~^^

前潟のり5

前潟に合う養殖は何なのか、試行錯誤していた時代かもしれない。
網に海苔が付いて育っていく様子を見るのは嬉しかったと思う。

前潟のり4

作業が続く

前潟のり6

網の手入れなのか、海苔の付き具合を見ているのか
二人での作業が黙々と続いているもよう。
そして写真を見ていた同級生が、すこし驚いた様子で一言
「これはうちの父親のようだ」

同級生の皆も海苔の養殖の事は知らずにいて
およそ60年経って初めて目にする養殖作業の一コマ
それが試験的なものだったのか、その後も続いたものなのかは分からない。

何も分からないままネット検索したら意外な事実が判明



十三湖前潟漁場開発調査(中央水産研究所)
十三前潟におけるノリ養殖は、昭和 3 6年1月上旬の結氷期までは成長することが観察されている。

詳しく見てみると、1月上旬のの結氷期まで成長することを確認の上
本調査が行われたのは昭和38年12月~の事らしい

調査は他にも牡蠣養殖、プランクトンなどの採取、水温の変化、魚介類の種類など
様々な項目が書かれていて、調査員の最後に普及員として参加した父の名も記されていた。
このほかにも昭和38年から39年にかけてもカキ養殖の調査等が続き、
沢山の人の協力で前潟の漁業開発調査が行われていたようである。


今現在、前潟では平目の稚魚を養殖、毎年8月に放流しているとのことです。




前潟のり1

作業の合間の一服♪


前潟のり2

ホッと一息つける時だろうか、側には馬もいて一休みの様子。
当時は村で馬を飼っていて、しじみを売りに行ったり荷物を運んだりしていたという。




※ 一部、ネットに公開されていた中央水産研究所の文章をお借りしました。








2022/05/11

小さな 鯉のぼり♪

鯉のぼり~♪


湖畔の生活 春 5こいのぼり


手に持って大きく振っているのは紙でできた小さな鯉のぼり♪
風を受けてひとりで泳ぐ大きなこいのぼりは無いけれど、
手に持ってぶんぶん振れば、元気よく泳いでくれるのが小さな鯉のぼり(^^)/


湖畔の生活 春 4


春の暖かな日差しの中、窓辺に座るのが気持ちいい♪

どこからか買ったのか貰ったのか
出かけていた父が、鯉のぼりをお土産に持ってきてくれた。

子供の日、男の子も女の子も元気に育ってくれればそれでいい、という親心かも~♪
2022/05/08

十三潟のボラの刺し網漁 2

ボラの刺し網漁 2

ボラ 刺し網3b2

ボラの刺し網の仕掛け作業のために船を出す。
船の荷は沢山の竿と網が載せられている
人数もかなりいて大掛かりな仕掛けを作るのが分かる。








ボラ 刺し網4b

浅い湖のことで、胴長を身に着けた女性も水に入って作業をする。






ボラ 刺し網1b

沢山の竿を打って大きな円を描くように網を張っていくのは大変な力作業なのだろう
写真の漁師さん、腰に手を当てて、ちょっと痛そうな表情








ボラ 刺し網2b

大変な力仕事のあとには嬉しい成果がある
笑顔の漁師さんの手元には大きめのボラらしい魚が見えていて
古い写真だけれど、ホッと嬉しく和む瞬間♪




2022/05/03

十三潟のボラの刺網漁 1

ボラ刺網漁 1


ボラ網の仕掛け作業
ボラ刺し網1b


私が知っているボラの刺し網は真っすぐだけれど
この写真のボラ漁は違っていた。





ボラ刺し網2b

船に竿と網を積み込み胴長を身に着けて湖に入る。
順繰りに間隔をあけて網を張るための竿を湖底に刺していっている様子。







ボラ刺し網3b

女性の笑顔が素敵で
子供たちも船の乗って漁の様子を見ているのがうれしい。






ボラ刺し網4b

先日紹介した「ふくべ網」の物凄く大型のもののように感じる。

この写真、岸の向こうに見える特徴のある屋根の大きな建物は十三小中学校で、
くっついて見えるが手前の岸辺の建物は湖畔の我が家である。
岸辺からかなり離れてボラ網の仕掛けを作っているようだけれど、
それでも胴長で歩いて作業ができる。





ボラ刺し網7

作業の状態はよく分からないけれど
もしかしたら網を下しているのかもしれない。






ボラ刺し網8

ボラ網の仕掛け終了だろうか。遠くに円形の刺し網が見える。






ボラ刺し網9

仕掛けた網に魚がかかっている。
手にしているのは「たも網」で、その中にボラが入っている様子。




ボラ刺し網10b

漁師さんの表情が明るい。30~40センチくらいのボラかもしれない。


ボラ漁はこのほかにもあって春から秋、そして冬にも行われていたようである。
小さい頃から湖で獲れるボラやジャッコ(ウグイ)を食べて育ったようなものだけれど、
沢山の人が集まってのボラ漁を見た憶えは無くて、
様々な漁が十三湖で行われていたのは新鮮な驚きでもあった。